細く撚る

あ、あ、あっという間に前の更新から2ヶ月経ってしまった。

前回日記を書いたときにはスランプのようなものに悩んでいたけれど、あのあと、過去最高に記事を書いたのだった。数の問題。

 

自分として注力しなければいけないマターが明確化されたこと、息抜きとして月に数本かを書くのは良いけれど・あくまでも息抜きは息抜き・それに十分充てるだけのリソースはないこと、などなどがハッキリしたため、契約は細くしていこうと思う。というか細くしはじめたところである。思いのほかぼんやり過ごす時間ができて気に入っている。知識欲を充足していく楽しみもある。

少し上向き

スランプの感じ、多少は緩和されつつあるので良い兆し。週末納期の2本の納品が火曜の今朝、すでに終わっている。

 

私自身の専門領域に関わる記事執筆を、プロフェッショナルたる発注者のファクトチェックを経つつ、本格的にやってみたいと思っていたところに、身内からちょうど良いような話をもらう。成約するかはさておき、メニューなどを用意しておくことにする。著作権、免責、価格。以前に執筆したもの。

じょうずに書けない

有償の書きもの(何だかおかしな表現)、全然じょうずに書けない。

これまでだって上手に書けていたかは分からないけれど、少なくとも、「私自身の感情(多くの場合はインタビューの対象者への無関心)を気取らせず」「ちょうどよいボリュームで」「生みの苦しみを味わわずに」書くことが出来たはずなのに、最近は、そのどれもがうまくいかない。スランプというやつかもしれない。

先月はいつものペースの2倍くらいの案件を引き受けていたけれど、よくもリズムよく処せたものだと思う。梅雨の停滞が引き連れてやってきた、一過性のストレスであると思いたい。

来週末には2本

ライターとして書いているものは、記事の形態を問わず「誰か」のチェックを経て世に出るので、そのへんとても気軽で良いと思う。

こうした機構を(大小を問わず)メディアが備えて当然のものとして捉えるかそうでないか、数年前に起きたキュレーションサイトにまつわるあれこれを遠巻きに見ていたものとしては、残念ながら、「あって当たり前」の営みではないのだと思い知らされてきた。無責任に濫造されたテキストが、もっともらしい顔をして往来を闊歩している。

自分の場合は、公開までに

①専門家によるファクトチェック

②インタビュー対象者本人によるレビュー

のいずれかを経るので、誤った情報を拡散する可能性や、描写された本人が「こんなふうに書いて欲しくなかった」と不快になる可能性ができるかぎり排除されているのがいい。

 

自分が書くもの、その中でも自分以外に何らかの直接的影響を与えるものについては、私自身が責任を持たねばならないと思っていて、しかしながら本心ではそれを徹底的に拒んでいる。なぜなら面倒だから……。

翻って、自分が種々のテキストに触れるとき、そこから与えられるすべての感情や印象、導かれる具体的な行動のすべては、読み手である私自身の責任に帰属するものだと認識している。フィクションを読むときだって、実務書を手に取るときと、本質的には変わらない。

さて、もう一度視点を戻して、自分が供給サイドに陣取ったとき。私自身は、やっぱり、あらゆる責任から逃走したいと思う。私自身の「無責任」を実現するために、私の代わりに「書き手の責任」を担保するしくみを持ったクライアントを見つけられたことは、なかなか悪くないものだと思う。

iPadがほしい

自分の場合は「生活に合わせた道具を買い足す」ところから、ものごとの歯車が狂いだすのである。

 

いまは、iPadが欲しいと思っている。

外出先でちょっとしたことを書き留めておくには、スマートフォンでは少々物足りなくなってしまった。かと言って常時ノートPCを持ち歩くのは嫌だし(自分はできるだけ身軽な恰好で回遊するのを是としているので)、となると、大げさでない鞄にも潜ませておけるような、そういう端末ではどうかと。キーボードなんかもつけちゃって。

 

「買い足す」という選択肢が頭をもたげる時点で、自分はどうも、「生きること」について必要以上に前向きになっているようだった。確かにそれは、日々をのりこなすためには悪くない心持ちであるのかもしれないけれど、自分にとっては、あんまりよくない状態であることは確かなのだった。

心地よい緊張感を維持しながら生活の雑事を右から左に処すエネルギーがじゅうぶんに残存しているうちは、こうしたポジティブなマインドでいたって構やしない。というか、そのほうが万事うまくいく(ような気がする)し、新しい幸運だって引き寄せられる(気がする)。

 

しかしながらどうだ、ふと、リズムを失った時。

 

「必要以上に」前向きな状態でしつらえた生活様式は、省エネルギーモードに移行した自分にとっては、相当に高負荷であるに違いないのだ。

「止めること」は、「続けること」と同じかそれ以上に高カロリーな営みだ。ストレスを抱えながら漫然と「続けること」も、相応に高カロリーな営みであるといえる。

 

iPadなんて買ってしまったら──いまはとりわけ、事業の用に供することを主として想定しているのだけれど──ふと電池がきれたとき、たとえば書き留めたアイディアや、実証に乗せつつあるいくつかの施策が急に色あせたように感じられて、とたんに自分というものを重鈍にする、足枷のように感じられるにちがいないのだ。そういうわけで、iPadの購入はも少し先送りにすることとします。